2015年3月9日月曜日

黒松内にあるぶなの森自然学校に行ってきました。

この土日は、札幌から車で約3時間、黒松内にあるぶなの森自然学校に行ってきました。

NPO法人ねおすが主催する「子ども達のための自然学校『イエティくらぶ』」に、ご縁を頂き、参加させて頂きました。

■子どもの自然体験活動イエティくらぶ

まだ、雪が残る北海道の道。


黒松内ぶなの森自然学校は、廃校になった小学校(元作開小学校)を活動の拠点にされています。

”1999年に開校した「黒松内ぶなの森自然学校」は、酪農地帯の北海道黒松内町南作開の生涯学館(元作開小学校)を拠点に活動を展開しています。

2003年、運営コンセプトに「地域と共に」というキーワードを加え、「交流」と「教育」=ツーリズムの拠点となるサイトづくりを目指し、笑顔と子どもの歓声あふれる地域繁栄に貢献します。 

そして、勝組・負組、上流・下流と分けられるようなグローバリズム経済に翻弄されることなく、自然の中で心豊かに過ごせるコミュニティづくりをめざしています。”

(黒松内ぶなの森自然学校HPより http://www.d2.dion.ne.jp/~buna_ns/ )


1日目(土曜日)は、参加者同士で簡単に自己紹介など始めのオリエンテーションを行い、

車で少し行ったところにある歌才地区の森で早速スノーシューを履いて、雪山探険。

参加者は下は、小学校低学年の子供から、上は地元のご年配の方まで。

雪山を歩きながら、木の種類のことや、この葉っぱをつかってこういうものが作れたりとか、

何十年も使い続けられている手作りかんじきの作り方とか、

そんな話を聞かせてもらいました。


キハダ の樹皮。とっても綺麗な色でした。

自然の色合い。黄色い部分を少しなめてみるととても苦かったです。笑 

ただ苦いだけでなく、胃腸薬などにも用いられるとか。

キハダ 


昔、人為的に植えられたトドマツの木。

歩いていてふと横をみたらまっすぐに並んでてビックリ。


森の中でも、子供達が木のツタで自然のブランコを楽しんだり、

雪山を登って、自然の滑り台をすべったり。

ゆっくり遊びながら、2時間ぐらい散策して、ぶなの森自然学校に戻って、

みんなで夕食づくり。


2日目(日曜日)は、土曜日とはまた違った場所で、ミズナラの巨木に会いに森を散策。

スタート地点は海と山が見える丘。



誰の足跡もついてない雪の森の中には、

うさぎやキツネの足跡がくっきり残ってました。





10分ほど歩いたところに現れた巨大なミズナラの木。

昔は、この辺り一帯、もっともっと木々が生い茂った深い森だったとか。

それが、人間がどんどん伐採して、今は新しい木が生えてるのだとか。

でも、このミズナラの木は、切られずにずっと昔から生えてる。

木の幹に手をあててみると、何か伝わってきそうな、そんななんともいえない、

神々しさがあって。


そんな木に、登る。笑 ごめんなさい。 でも、楽しかった。


雪を固めてブロックつくって、イグルーをつくってみたり。


そんなこんなで、あっという間の1泊2日だった。

すみません、自分はだいぶおおまかに振り返ってしまったのですが、

こちらに、スタッフさんが更新しているちゃんとしたレポートが。笑

ぜひ。

1日目(土曜日)
イエティくらぶ黒松内校 3月例会 雪の里山たんけん!

2日目(日曜日)
イエティくらぶ黒松内校 3月例会 雪の里山たんけん!2日目


・・・

黒松内からの帰り道に見たニセコの羊蹄山。

北海道に来てから、とっても単純だが、スケールのデカい自然を見て、

やっぱり自然は偉大だなって、改めて思う。



そして、定山渓で豊平峡温泉にも寄って。


改めて、

自分で足を運んで、実際に体感して、

その時その場所で感じることを大切にしようと思えた、

1泊2日でした。

やっぱり、自然の中で過ごす時間は良いものです。

感謝。

2015年3月1日日曜日

「いま、地方で生きるということ」を読んで思ったこと。※2013年8月18日に書いて長らく”下書き”のままだった日記。





なんとなく、自分の中に、

東京(都会)が嫌いで、地方(人が少ない場所っていうと語弊があるかもしれないけど)が好きっていう感覚があって。

それは、なんでなのかは、はっきりとは未だによく分からなくて。

でも、なんかそのモヤモヤに対して、少し、ヒントが見えたような気がして。

この本を読んで。

「いま、地方で生きるということ」 西村佳哲(著)
http://www.mishimasha.com/books/chihou.htm

・・・

・「東京」というモノサシををはめるんじゃなくて、それぞれの地域の「モノサシ」でいいじゃないか的な。

「東京」という街がどういうモノサシで幸せや成功が計られているのかはよくわからないけど、
なんとなく、感覚的なもので、色んな地域で目標にされているのが、「東京」的なことじゃないのかなって。
ちゃんと説明できないんだけど、雇用がたくさんあって、経済がまわって、お金的な余裕がなるべく多くの人にあって。
とにかく、まず「お金」があること。
これが、だいじなこと。
ってそういう価値観。
(そうじゃない人もたくさんいると思う。あくまでも自分が高校卒業まで埼玉の蕨っていう東京のベッドタウン的な場所で暮らしてて感じた超個人的な主観。ていうかそもそも東京のベッドタウンっていう捉え方があれなのかも。。。)

誰が?っていうわけじゃなくて、「東京」って捉えてしまった時に、なんかそんなことを感じるなって。
とにかく仕事して、とにかくお金を稼いで、それで幸せに暮らす。的な。
それもいいと思う。

一方で、田舎で全然お金ないけど、自分で作ったとってもおいしい野菜を食べて、海で釣ってきたばかりの新鮮なお魚を食べて、

色々相談し合える昔からのご近所さんがまわりにいて。

東京の、ソレだけが「モノサシ」じゃないと思ってて。

あくまでも、それもあっていいと思う、という部分は強調したくて。

でも、

そうじゃないこともあっていいと思う。

というかそうじゃないことに、もっと自信を持っていいと思う。

っていう部分かなって思って。

そういうことをこの本を読む中で、感じて、実際に、それぞれの価値観(モノサシ)で、生きている人達が登場して。

別に、都会⇔地方、どっちがいいとかではなくて、

あまりにも、都会(東京)への憧れか、なんかよくわからないけど、

東京=正解みたいな。。。

でも、自分たちの住んでいる足下を照らしてみたら、たくさんいいものあるって。

それは都会も含めて。

そうすると、自分がその土地に住んでいることに自信が持てて、そうするとその土地が好きな人が増えて、

自分が好きな場所だから、よりよくしていきたい、よりよい街にしていきたい、とも思うと思うし。

そうしたらそこでの暮らしって豊かになると思うし。

そういう意味で、東京(都会)=かっこいい、田舎=なんかちょっとださい、っていう、東京がモノサシになっている価値観を一回外してみて、

(そういう価値観じゃない人もたくさんいると思うけど。)

自分たちにとっての幸せってなんだろう的な、ことを考えてみるのが、地域がより良くなっていくひとつの手段になりえるんじゃないかと思って。

そういうヒントを、この本の中に出てくる人のインタビューや、著者の西村さんがインタビューを通して感じて行くことを読みながら追体験していくことで、

(余談だけど、この読者に追体験させていく。という構成、すごいいいなと思う。)

もらえたような気がして。


色々感じることはあったけど、

最後の三島さんへのインタビューの文章の、

本当に最後の部分が、一番印象的だった。

”自分たちの場所を自分たちでつくっていく”というあたり。

自分たちのモノサシで。


多様性っていうのが自分の中で結構深い所でテーマにあって、

その上に、地域がよりよくなっていくとか、自分たちらしい暮らし、とかがあって。

一番深いところには、当事者っていうのもあるかも。

・・・自分が自分にとっての当事者になりきれていないって感じる部分も多々あるし。


本の中にでてくる、冒険教育の分野の話しも興味深かった。

不確実性に向かって行く、強さだとか、心持ちだとか。



最近色んなとこで、目にしたりするけど、

こっちかこっち、っていう極端な二項対立を議論したいんじゃなくて、

その間にある、今までちょっとこっちにより過ぎてたかもしれないけど、もう少しこっちでもいいんでない?的な、

そんなようなことがあちこちで起こり始めてたり、

もっともっと増えて行くと、

なんか面白くなりそうで。。。

そういうのを増やして行く、ようなことがしたいなって、

たぶん根本の部分では昔から変わっていない部分があって。





決して、地方で生きることが幸せとか、地域へ移住とかを促すような本では全然なくて、

いま、地方で生きるということ ってどういうことなんだろうっていうのを考える行為を通して、

自分の生き方だったり、今の自分の環境を見つめてみようっていうような本な気がして。

だから別に東京=悪、地方=良、とかでは全然ないのもいいなって思う。


・・・


って色々書いたけど、ただ単に「東京的なもの」っていう敵をつくって、

自分の意見を肯定したいだけなのかも。

自分の中で。

そういう矛盾もあるな。

考えるより実践だね。

でも、時には考えるのも大事だと思う。的な。

難しい。


・・・


大きいものが正しいって、でかいものにまかれるんじゃなくて、

じぶんたちのいいっていうものを信じて、それを肯定していく強さっていうか、


そういうのって素敵だと思う。