2014年10月26日日曜日

ボルシチとサハリン(樺太)@とものいえ

昨日は久しぶりに恵庭の村上さんの家(とものいえ)へ。


とものいえにお邪魔する度に村上さんが淹れてくれるコーヒー。


ボルシチにいれるビーツの赤が染みたまな板。


赤色が鮮やかなビーツ。



軒先には営農予定表に書かれた今日のイベント名
「カーチャの暮らした樺太@とものいえ」。


畑で採れたジャガイモ。
オーブンで焼いたのを頂いたのですが、
とっても美味しかったです。



古い農家さんの家をリノベーションしたとものいえ。





薪(まき)ストーブの上で、ぐつぐつとじっくり煮込まれた
ボルシチ。



大きなテーブルを囲んで、
みんなで「いただきます」。



赤ちゃんから年上の先輩方まで、
幅広い年齢層。





サハリンの映像(動画)と写真をみんなで見て、
後は思い思いの時間を過ごしました。

とっても素敵な空間と時間でした。

2014年10月22日水曜日

大切にしてること。


来月、11月9日の日曜日に、NPO法人モンキーマジック代表の小林さんという

視覚障害のフリークライマー世界チャンピオンの方を札幌にお迎えしてワークショップをやる。

2014年11月09日(日) 開催
小林さん、クライミングの魅力って何ですか?

ので、

なんでこのワークショップをやることになったのかと、自分が今考えてることの整理も含めて、

文字に起こしてみる。

・・・

元々、小林さんと初めてお会いしたのは今年の4月にオオドオリ大学で小林さんに先生をしてもらった、

ドリ大の授業がきっかけ。

「見えないフリークライミングの世界」を見てみよう。(とっても素敵な授業レポート。)

そのちょっと前にFacebookで、視覚障害の人も晴眼者(目が見える人)の人も一緒に楽しめるクライミングスクールをやってる

モンキーマジックっていうNPOがあるって、知って。

で、なんとなく、これなんだろ〜って興味を持ってたら、

小林さんが札幌に来る機会があるんだけど、ドリ大で授業してみない?

みたいな感じでたまたま直接知り合う機会をもらって。

(たまたま、小林さんが、自分が北海道でとってもお世話になった人の友達だったっていうことも大きかったかも。)

それで、初めて出会ったのが、そのドリ大の授業の日の午前中、

東札幌のNACであるクライミング体験の前に、

地下鉄の駅で待ち合わせした時。

・・・

それまで、視覚障がいを持った人とあまり接する機会がなかったから、

どんな感じで接したらいんだろう、とか、ドキドキしてたんだけど、

出会ってすぐ、そのドキドキは消えて、あぁ目が見える人と何も変わらない、

って思った。

もちろん目が見えないハンデはあるけど、別にだからって、

それをマイナスっていう風に捉えるのではなく、ありのままを受けいれてる強さというか。

で、いざクライミングの体験を始めてみると、本当にこの人目が見えてないのかな?

って思うくらい、なんだろう、慣れているというか、堂々としているというか、

在り方というか、なんか、別に目が見えないとか目が見えるとか関係なく、

一人の人として、なんか目の前の小林さんという存在がとってもまぶしかった。

で、自分が初めてのクライミングで、壁に登れなかったりしても、

じゃあちょっと見ててください、コツがあるんです、みたいな感じで、

いとも簡単に(簡単に見えただけなのかな?)、すらすらと壁を登っていく小林さん。

もちろん、目は見えないから、手探りで壁についてるホールド(石のようなもの)を探り探しながら。

・・・

と、まぁそんな出会いで。

で、その日は夜の懇親会まで一緒だったから結局午前中のクライミングから夜の懇親会まで、

一緒の時間を過ごさせてもらって。

・・・

冒頭にのっけた小林さんの動画でとっても好きな部分がいくつかある。

いくつかあるけど、一番好きなのは、16:20くらいからの、

小林さんの言葉。

一緒にクライミングをしようっていう。

そんな風に言われたら、なんだろう、したくなっちゃうって。

別に、なんにも、難しいことはなく、楽しいから一緒にやろうよ、みたいなメッセージ。

そんな、在り方がとっても素敵だなって思う。

ぜひ、一度見てみてください。


■小林幸一郎さんプロフィール

1968年東京生まれ。
大学卒業後、旅行会社、アウトドア衣料品販売会社などを経て、33歳で独立。
16歳(高校2年)でフリークライミングと出会う。
それまで全く運動をしていなかったが、さまざまな環境の変化の中でもこのスポーツを止めたことはなかった。
28歳のときに眼病が発覚、将来失明するという診断に失意の日々も送るが、
その後さまざまな出会いから現在の活動を開始。
第一回障害者クライミング世界選手権、視覚障害男子の部優勝。
視覚障害者へのフリークライミング普及活動を行う「NPO法人モンキーマジック」代表理事。 

・パラクライミングカップ(ロシア)2006 視覚障害クラス優勝 
・イタリア世界選手権2011 B2クラス優勝 
・視覚障害者クライミング日本選手権2013,2014 優勝 
・パラクライミング世界選手権(スペイン)2014 視覚障害B1男子 優勝

■NPO法人 モンキーマジックについて 

2005年8月NPO法人認証設立。
スクールやイベントを通じ、視覚障害者を主な対象としたフリークライミングの普及活動を行う
様々な交流を生み出し障害者理解やその自立支援の実現を目指しています。 

NPO法人モンキーマジックオフィシャルサイト 

<メディア紹介>
・NHKハートネットTV放映
見えない壁に挑む ―フリークライマー・小林幸一郎―

・ダイバーシティマガジンcococolor掲載
視覚障害者といっしょにフリークライミング。見えてきたことは?


2014年10月19日日曜日

スポーツのチカラ。



スポーツの力なんて、今まで全く考えたことなかった。

小学校2年から高校卒業までサッカーをずっとやっていた。

サッカーだけをやっていた。

育った街が、浦和レッズのホームタウンの隣町だったから。

サッカーが盛んだったのかな。

夢中だった。

小学校のときは、

真っ暗になるまで小学校の校庭にひとりぼっちになるまで残って、

リフティングでハーフラインからゴールラインまで行けたら、、、

みたいなのを何度も何度も繰り返すような日々。

別に他にやることがなかったわけじゃないと思うけど、

なんだかサッカーに夢中だった。

サッカーというより、ボールと一緒に時間を過ごすことに夢中、、、みたいな。笑

・・・

と、まぁそんな話はおいといて、

別にスポーツの力とか意識したことなかったけど、

最近は、スポーツの力ってすごいなと思ってる。

スポーツの力、というより、スポーツが果たせる役割、みたいな。

・・・

自分との闘いだったり、

なんだろう、スポーツを入り口にして社会とつながる、みたいな。

”社会”っていうのがなんなのかはうまく説明できないんだけど、

スポーツを通して、知り合いが出来たり、友達ができたり、今まで出会わなかった人と出会えたり。

そんなこと、高校までサッカーをやってる時は意識してなかった。

自分がやるのでいっぱいいっぱいだったから。

(いや、今もいっぱいいっぱいだけど。)

でも、昔と違うのは、

スポーツの力ってまだまだあるんじゃないのかなっていうこと。

スポーツを入り口にして、

何かこう、なんていうの、課題?を解決するアプローチのひとつになったり。

うん、よくまとまんない。

でも、

何かこう、スポーツの力っていうか、役割っていうか、

もっともっとなんか、可能性があるんじゃないのかなって思う、今日このごろ。

・・・

ということで、ドリ大でそんなことも考える授業してみたいと思います。笑

視覚障害のフリークライマー世界チャンピオンの小林さんをお招きして。

自分が北海道に来るきっかけになった人の友達。

そんな小林さん。

ぜひ、11月9日(日)はクライミングを一緒に。。。笑

→ http://odori.univnet.jp/subjects/detail/222

こちらもぜひ。

・NHKハートネットTV放映
見えない壁に挑む ―フリークライマー・小林幸一郎―
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2014-10/06.html 

・ダイバーシティマガジンcococolor掲載
視覚障害者といっしょにフリークライミング。見えてきたことは?
http://cococolor.jp/944










2014年10月5日日曜日

とある日のアパートの1日。

朝、日本人の同居人とあって、

昼、新しくアパートに引っ越して来たチェコ人の方々にあって、

夜、中国とドイツのバックグラウンドを持つ男の子とあって、

ひとつのアパートに住んでいて色んな人と会える、話せるのは面白い。

・・・

夜、そのドイツ人の人と話してて、

オーストラリアの宿にいた頃に出会った(お客さんとして泊まりに来た)

18才ぐらい(当時)のドイツと日本のバックグラウンド(両親)を持つ男の子のことを

思い出した。

外見はまるで日本人だけど、

自分がそれまでに日本で会ってた日本人とは明らかに空気感とか

雰囲気とか違って。

別にいいわるいではないんだけど、

なんかとっても興味深くて。

18才だけど、自分の考えをしっかりもってて、

年的にはだいぶ上のオージー(オーストラリア人)と話してても、

堂々と自分の意見を持っていて。

・・・

生まれて育ったのがほとんどドイツで、

親の転勤かなにかの理由で、その時はニュージーランドにいて。

で、一人旅でその時はオーストラリアに来ていて。

・・・

オーストラリアにいた時、

とっても興味深かったのが、

色んな文化がまじりあってるってこと。

マレーシア人とインドネシア人の間に生まれたけど、

育ちはオーストラリアの人とか、

その宿に泊まりに来てくれた、

一見見た目は日本人だけど、

ドイツで育って、今はニュージーランドで暮らしてて、

英語ぺらぺらでどこか、日本人離れした雰囲気を持っていて。

・・・

でも、これがスタンダードなんだろうなって思った。

堂々とお互いの意見を出し合って、

それは年とか職業とか関係なくてフラットな関係で、

あぁあなたはそういう風に感じてるんだね、

私はこんな風に感じてるし、思ってる。

それは良い悪いじゃなくて、

まずはお互いの意見を聞いてみること。

それを楽しむこと。

そんな風なコミュニケーションの在り方っていいよなって、

そういえば、そのとき思ったっけ。









2014年10月3日金曜日

沖縄に「コザ」という街があって。

コザが好きで。

とっても。

沖縄のちょうど真ん中ぐらいに、

「コザ」っていう街があって。



沖縄と、アメリカと、日本と、その他色々が混じったような街。

色んな人達が集まってできた街。

そんなコザが好きで。

自分の大切な地域を大切にするということ




何年か前に、こんなことを書いたら、

コザの銀天街の青年部長から、

こんな返事を頂いた。

”若者のいない銀天街には、
君たちの協力は欠かせないものになっています。

いつも、本当にありがとう。

ブログに書いてあった
去年の君の涙に、僕は気づいてはいませんでした。

僕らの都合で
君たちに悲しい想いをさせてしまっていることに
たいへん申し訳ない気持ちでいっぱいです。

しかし、
商店街の厳しい現状をどうすればいいのか、
右往左往しているのが現実です。

目的と手段の乖離を感じながら、
それでも、目の前の問題にふりまわされて、
大きな方向性を見失ってしまいます。

何か、青春時代の心の動きに似ている感じがしますが、
もはや、あの頃の根拠のない自信など持てるはずもなく、
日々、年だけとっている自分自身を情けなく思います。

君が、
僕らと付き合って、
コザの人が好きだと言ってくれることを
うれしく思います。

僕は、世の中に「絶対」はないと思っています。

明と暗。

対極的なものの、大きな振幅の中で
コザの人は、上手に生きています。

まよい、とまどい、ゆれ、

そういった、一見、優柔不断に見えることに

コザの人は、魅力を見出せる人たちです。

いろんな価値観を
素直に人生に表現できることが、
コザの人のいいところです。

それが、僕の街づくりの原点です。”



そんな、コザが好きで。

ちょっと、寂しい気持ちになったり、

でも、まだまだちゃんと頑張ろうって思ったり。

とっても大好きな街です。

銀店街振興組合が解散 沖縄市の屋台骨、62年で

【沖縄】戦後、沖縄市の発展をけん引してきた「沖縄市銀天街商店街振興組合」が、30日付で解散した。既存の商店街の法人組織の解散は、日本復帰後の県内で初めて。顧客の減少による売り上げの激減、組合員数の減少など時代の流れには逆らえなかった。銀天街の前身となる「十字路市場」通り会の創立から数え、62年の長い歴史に幕を閉じた。