2013年8月27日火曜日

主観と客観。

この前、とある積丹の海岸に行って、

「うわー!めっちゃ綺麗な景色!」

と思って。

そこは日本の渚100選とかに選ばれてる海岸で、

「日本の渚100選!」的な看板も立ってて。


んで、階段で、浜に降りれるようになってて、

浜で天気いいな〜って思いながらぼんやり考え事して。





そういえば、自分、パンのうまいまずいとかよく考えたら分からないなと思って。


北海道の真狩村にとっても美味しいパン屋さんがあるらしいって知って、


一回訪ねたことがあって。


昼過ぎについたんだけど、すでに完売してて。


でも、よく考えたら、じぶん、パンのうまいまずいってよくわからないなって。


知り合いが一生懸命作ってたり、自分の信頼する誰かだったり何かがそこのパン屋おいしいよって言ってたら、

案外、それだけで、ああ、このパンはおいしい、って言っちゃうんじゃないかって。


別にパンのうまいまずいに限ったことじゃなくて。


自分の主観じゃなくて、なんかまわりの意見によって、そのものの価値を自分が捉えてることって、

結構ある気がして。


かといって、やっぱり大勢の人に良いとか美味しいとか言われるものはやっぱりそうなんだはず。


でも、気づかないうちに、大多数のまわりの意見に流されて、

そのうちそれが習慣化して、本当は自分はそんな風にちっとも思わないのに、

誰だれがそういったからそうだ的な、

自分のモノサシを見失ってることも多々あるんじゃないかなって、

ふと思って。



自分の価値観を持つって言うのは、案外大変な気がする。


それだけ、主張してて、結局まわりに受け入れられなかったら、

何も意味を持たないかもしれないし。







でも、同時に、自分の価値観て大事な気がする。



それこそがその人の存在する意味になるとも思うから。



その方が面白いし。



2013年8月25日日曜日

一番良かったこと。

土曜日の夜から、

札幌から車で3時間くらいの積丹(しゃこたん)に行ってきた。

友達に車だしてもらって。

あざっす。


夜に、友達が働いてる積丹の民宿海のやに着いて、

そのまま泊めさせてもらって。

民宿海のや https://www.facebook.com/shakotan.uminoya





翌朝、

起きて、ちょっと朝さんぽして。













んで、

朝の8時くらいから朝食食べさせてもらって。


白いご飯と、生卵と、おかずと、昆布の佃煮とかとか。


なんか、久しぶりに、”ちゃんとした朝ごはん”を食べた。


宿の人達と一緒に食べたんだけど、

なんか、みんなで何気ない話しをしながら

朝ご飯をちゃんと食べるっていいなぁって思った。



当たり前のことかもしれないけど、


すっごい久しぶりの感じがして。



とっても美味しかった。




ありがとうございます!








2013年8月15日木曜日

二年目の夏の夜@札幌



仕事終わりの帰り道、

盆踊りの音が聞こえてきて、

ふと大通公園にたちよってみた。







沖縄に住んでた時は毎年旧盆(内地のお盆と日にちがずれてる)で、

エイサーの太鼓の音が街のどこからともなく聴こえてきて、

それはそれですごく良かった。



でも、

去年、札幌で迎えた初めての夏、

仕事終わりの会社の帰り道に、

今日と同じ盆踊りの音が聞こえてきて。



もう一年経ったのか。



って思った。


あっという間。



去年も同じ場所で、

同じようなタイミングで、

あぁ盆踊りも盆踊りで、

なつかしい感じがしていいなぁと思っていた。



夏の夜って好き。



暑いのは嫌いだけど、


でも暑いからこそ夏だな〜って感じがして、


そんな感じは好きで。



帰り道、


川べりを走るチャリの人がいて。


奥に向こう岸のビルやマンションの灯りが見えて、


その手前に川が流れてて、


さらにその手前に、ライトをつけて夜道を走るチャリの人がいて。


川辺でバーベキューしてる人達がいて、


堤防に座って楽しそうにしてる人達がいて。



なんか、いいなぁ、夏だなぁって思った。



・・・


今日「編集」というキーワードで面白いと思った記事があって。

■編集者の価値は「視点」にある

「視点」を盛り込めることが、「価値」なんだって。

そうなんだって。

ほーっ、って思って。


確かに、

時々、この人のモノの見方面白いなとか、

どうしてそんな見方できるんだろう(いい意味で)とか、

アップルのCMの、

「四角い穴に丸い杭(くい)を打ち込むように、モノゴトをまるで違う目で見る人たち」的な、


すんげー!そこから見たらそんな風に見えるのか!的な。






それってすごい新しくて、面白くて、ユニークで。


時々いる。そんな人が。



って、さっきのアドタイの記事を読んでふと考えた。








・・・


いやー、夏の夜っていい。


この蒸し暑さがちょうどいい感じ。笑


いやー、マーシーのがらがら声かっこいい。








2013年8月12日月曜日

ちょんまげ支援隊の被災地報告会@札幌・ドリノキ―ちょんまげ隊長が見た3.11後の東北―で自分なりに感じたこと。



自分の中でまだまだ消化しきれていない部分は多々あるのだけど。


・・・


昨日、オオドオリ大学のつながりで、

ちょんまげ隊長ツンさん(サッカー日本代表のサポーター)の被災地支援に関する活動報告会に参加した。

ツンさんの活動→http://ameblo.jp/piroponpin/entry-10940136230.html
       →http://derorinkuma.com/daihyou/42007

日曜日の夜、大通のツタヤの上にあるコワーキングスペース・ドリノキに30名近くの人が集まった。


・・・

会が始まって早速、

ちょんまげ姿に青いサムライの甲冑を着たツンさんがしゃべり始める。







印象的だったのは、


「僕が言うことが正解とかではなく、

あくまでも、今日僕が話すことや僕がお見せする映像を見て、

ひとりひとりに、それぞれの解釈をして欲しい。」的な話しを一番最初にツンさんがしてたこと。

「そして、できれば東北に足を運んで自分の目でその場所を見て欲しい。」と。


そんなようなことを話してて、とっても印象的だった。



19時に始まって約2時間、全部で10本ぐらいかな、ツンさんがこれまで被災地に足を運んで

撮りためた映像等を編集したものを見せてくれて、

それをもとに、地震があった直後の被災地の様子や、

ツンさん達ちょんまげ隊の支援活動の様子や、

地震から2年経った被災地の今の状況などを紹介してくれた。





・・・

ツンさんの話しを聴いてて、

地震があった時のことを思い出した。

大学卒業前の最後の長期休みだからって、

ちょうど沖縄から実家がある埼玉に帰ってて、

んで、東京で人にあう用事があって、

原宿で待ち合わせして合流して、

写真の展覧会を見てた時に、地震が起こった。

最初は、トラックが近くを走ってて揺れてるのかな〜とか思ってたけど、

あまりにもゆれが大きくなって、あわてて建物の外にでて、

そしたら電信柱とかめっちゃ揺れてて。


そのまま、代々木公園に行って、とりあえず、ほっと一息ついて。


東京は電車が泊まって、電話もつながりずらくて。


んで、その日は都内にある祖父母の家に泊めさせてもらって、


翌日朝早く目が覚めて、テレビをつけたら、津波の映像が流れてて。


テーブルにひじをついたまま、ぼっーとテレビから流れる映像を見て、


何が起こってるのか理解できなくて。


しばらく一人でぼーっとしてた。


目の前に映し出される映像があまりにもショックすぎて。


見たこともない映像がテレビから流れてて。


んで、地震が起こってしばらくは、


埼玉の実家にいて、原発のこととかもあったから、twitterとかネットで絶えず情報チェックして、


そうすると、twtterとかに温かいメッセージとかも流れてきて、


それを見て電車の中とかでも、自然に涙が出てきたり。


しばらくそんな状態が続いてた。

・・・


そうそう、

んで、自分がそんな風にショックを受けて、パニクって、

自分のことや自分の周りにいる大切な人達のことだけでいっぱいいっぱいになってたころ、

ツンさんはすでに被災地支援に動き出していた。

地震があって、一週間後とかには、自分が靴屋をやってて、靴がたくさんあるからって、

それを東北に持ってこうって、動き出してたらしい。


すごい人だと思った。


と、同時に、なんでそんな行動をとれるのかも少し気になって。

報告会が終わった後の懇親会で、

「なんで、自分のことだけでもいっぱいいっぱいになるような状況なのに、東北の人のために、わずか震災後1週間とかで行動を起こせたんですか?」的なことを質問してみた。


そしたら、


「いや、靴屋をやってて、靴が大量にあったから、とにかくこれを被災地に届けようと思って。」的な話しをしてくれて。


たぶん、何か理由があるとかじゃなくて、ただ、そうしたいから、そうしなきゃってシンプルに思ったから、そういう行動を起こせたんじゃないのかなって。。。

そういう行動をとらざるをえなかったんじゃないのかなって。


これは自分の勝手な想像だけど。


ツンさんが、話してたコトで、もうひとつ印象に残ったこと。

「僕が今日話すことや、流す映像を見て、被災地のことを他人事だって、遠い所のことだって思わないで欲しい。つい最近だって被災地ではないけど、豪雨被害を受けて避難所生活をおくっている人達もいる。決して、震災というのは、他人事じゃなくて、いつ自分の身にも起きるか分からない”じぶんごと”なんです。」的な話しをしてくれて。


当事者になるって、難しいけど、でも、何か関わりを持とうとした時に、やっぱり、

当事者になる、もしくは当事者意識を持つっていうのは重要だと思う。


そしたら自ずと自分から動き出せるだろうし。


その、モノゴトに対する見方だったり、捉え方だったり、行動だったりも変わってくるだろうし。。。



あとは、人って強いな、って改めて思った。


津波で、お母さんもお兄ちゃんも亡くして、


でも、それでも笑顔でお父さんと遊ぶ小学生の女の子の映像を途中流してくれて。



人って強いんだって思った。







あ、あとツンさんが報告会の最後の方で言ってた、人は一人じゃ生きていけない、っていう言葉も印象的だった。


ちょんまげ隊の人達が、被災地の子供達と家族を連れて、サッカーの試合を見に行くバスツアーを何回か企画してて、

その中で、バスツアーが終わって、子供達がありがとうって言って、ボランティアのちょんまげ隊の人達一人一人と握手してる映像があって、

んで、よく声を聴いてみると、ボランティアをする側のちょんまげ隊の人達も、「ありがとう」って言ってる。

たぶん、ボランティアをする側とされる側っていう風にわけるのはどうかと思うけど、

でも、この場合で言えば、ボランティアをする側の人達にもたくさん得るものがあったんだろうなって、

だから、この人達は、自分が支援する側だったのに、子供達や家族の人達に向かって「ありがとうございます。」って言ってるんだろうなって。


人って、みんな持ってるものが違うから、お互いの得意な部分だったり、ちょびっと余計に持ってるものだったり、

そういうひとりひとりの長所じゃないけど、得意な部分じゃないけど、そういうのを交換しあえたら、とっても豊かな暮らしができるんじゃないのかなって。

見方を変えたら、一見、ネガティブに見えるものも、ポジティブに捉えることができたり、

誰かにとってはあまり価値のないものが、他の誰かにとってはとっても価値あるものになったり。

でも、それって一人じゃできなくて。

自分と違う誰かがいて、初めて交換しあえるものだと思って。


だから人って、一人じゃ生きていけなくて。


そんなことも考えた。



いずれにせよ、震災直後はあれだけ、目に触れてた被災地の状況だとか、

震災後の復興の様子だとか、

時間が経つにつれてどこか少し距離が離れてしまっていたものを、

改めてツンさんが昨日みたいな場をつくってくれることで、

距離を少し近くするきっかけをつかめたような気がして。


震災後、東北に”いつか”行こうと思ってたけど、

いつかじゃなくて、今年の10月くらいまでには、

一度行こう!って昨日の話しを聴いて思った。


http://michinokushigoto.jp/archives/402



貴重な機会をつくってくれたツンさんと、企画してくれた人達、手伝ってくれた人達、参加してくた人達に感謝。













2013年8月8日木曜日

穴滝に行く途中で考えてたこと。



先週の日曜日、小樽の穴滝へ行ってきた。

とある宿泊施設のblogで穴滝の記事を読んで、

なんだかとっても自分の目で見てみたくなって。






小樽駅からバスにのって20分ぐらい、

天神町の浄水場の近くまで行ってから、約1時間林道を歩いて行く。






日曜の朝9時とかだったからか、

誰もいない。






ただ一人でもくもく歩く。

顔のまわりにぶんぶん飛ぶ虫がうざったいなと思いながらも、

ひたすら滝を目指す。












行き道はただただひたすら早く目的地に着きたい一心で歩く。


まわりの景色にも目もくれず。


といっても似たような木に囲まれた景色が続くんだけど。


それでも、時々ふととまって深呼吸すると、


木に囲まれた道の上で、水が流れる音と、せみの鳴く声だけが、響いてたりして。


天気はとっても良くて。






・・・


歩いてると、なんか考えたくなる。

いや、

勝手に、なんか考えてしまう。

前日にジブリ映画の「風立ちぬ」を観たせいか、

なんか人の存在っていう部分が頭に残って。






もののけ姫とかでもそうだと思うけど、

人間って地球環境のことを考えたら、

とっても害だし、(あくまでも自分の個人的な意見。。。)

自分の欲のために、平気で何かを傷つけたりするし、

気づかないうちに何かを傷つけてるし。






基本的に風立ちぬを作った監督も、人間ってくそだ、みたいなところは

思ってるんじゃないのかなって。

かなり自分の個人的な意見だけど。。。









でも、

色んな矛盾を抱えて、それでも毎日を精一杯生きて行くっていう、

人間の美しい部分もあって。



馬鹿みたいに残酷な部分もあれば、

なんだかわからないけど魅了されちゃうような美しい部分もあったりして。








自然環境だって、

川が流れてて、植物が咲いてて、虫がいて、動物がいて。


もうさ、全然答えでなくて。








頭の中をぐるぐるぐるぐる考えながら、

ふと、立ち止まって空を見上げたら雲がすごいスピードで流れてて。

(流れてたように見えただけかな。)






んで、

それまで自分の頭の中のことでいっぱいだった意識を外に向けてみたら、

「ホーホケキョッ!」

ってうぐいすの鳴き声だとか、

夏っぽいせみの鳴き声とかが聴こえてきて。



目の前には青い空と、

流れる白い雲と、

青空が映った水たまりと、

まだまだ続くじゃり道と。







なんか、自分のアタマの中でぐるぐる考えるのも楽しいけど、

ふと立ち止まって外の景色に意識を向けてみるのも楽しいなって思った。










結局何が言いたいかまったくわからなくなったけど、

なんだか、

自然に囲まれてるとやっぱり落ち着く。







なんかあまりにも人工的に作られたものじゃなくて、

自然の

ありのままのものが残ってる感じが好き。








虫だっているし、蜂だっているし、川だって流れてるし、


滝だってごーごー水しぶきをあげてるし。







綺麗に見せようとか、

ちゃんと形を整えるのも大事だと思うけど、

なんかそういうのを意識しすぎると自分の場合は疲れてしまって。






時々は晴れた日に、

海の上にぽかーんと浮かんで、

遠〜くを見つめながら、

波が来るのをまってるような、

そんなような時間を大切にしたくて。



ないものねだりなんだと思うけど、

そういう時間がとっても大切な気がして。



だから、北海道とか沖縄とかオーストラリアとか、

自然との距離を近く感じられる場所が好きなのかも。







そんなことを

もくもくと林の中を歩きながら、

考えた、

とある夏の日の午前中。笑


(今日書いたことはだいぶ自分の個人的な意見です。笑 てかいつもそうだけど。笑 今日特に。。。笑)


あ、穴滝はすごいいいところです!

帰り道、電車から見た海沿いはたくさんの人がいたけど、

穴滝、全然人いなかった!

ゆっくりできる穴場です!笑