色んな境界線がもっと曖昧になったらいいのに・・・。
って、
昨日、元同居人とカフェで話してて、
その話をふと思い出して、
そういえば、そうだったと思って。
半年ぐらい前に、
その元同居人に誘われて、
その人がでるコンテンポラリーダンスの舞台を、
地下鉄の琴似駅のさらに地下にあるパトスという場所に観に行った。
ダンスなんて全く興味なかったけど、
なんとなく面白そうだし、大体その人に誘われた場所に行ってみると面白いことがあるから、
と思って行ってみた。
結果は、面白かった。
なんか有名なダンスの先生が練習生を集めて、
一週間ぐらいの短期間で指導もしながらひとつの作品(舞台)を作り上げるっていうものだったんだけど。
で、自分が観に行った日がその発表会の日。
最初に、司会みたいな人が登場して、その有名な先生の名前を間違って、
自分は一人、え、名前間違ったけどこれでいいの??みたいな感じになってたんだけど。
舞台が終わった後に、映画でいう監督の解説みたいな感じで、
どういう意図でその日の舞台がつくられたか?っていうトークショーみたいなのがあった。
アフタートークっていうのかな。
で、その中でその有名なダンスの先生が話してたこと、
とっても興味深かった。
観客の人も含めて、その会場の雰囲気も含めて、その日その場の空気も含めて、
ひとつの作品なんだと。
なんだろう、なんていうか、演じる側と観ている側というはっきりとした線はなく、
なんとなく、観ている側も一緒に作品をつくる一部になってその場が出来上がっているんだ、
そういうのを意図して、作品づくりをしてるんだっていう視点がとっても新鮮だった。
お店の人と、お店にくるお客、
家の住人と、その家に来るお客さん、
宿のスタッフと、宿のお客さん、
演じる側と、観ている側、
教える側と、教えられる側、
ワークショップをつくる側と、ワークショップを受ける側・・・。
何かをつくろうと思った時に、境界線があって、
どっちかが一方的にその場をつくって行くのではなく、
お互いに双方向にコミュニケーションをとりながら、
一緒に何かをつくって行く、
っていうそういう雰囲気が好きで。
白と黒だけじゃなくて、その間の色に無数の可能性が広がってるって、
ミスチルも唄ってたけど。
そんな感じ。
境界線のこっちと向こうっていうのも大事だけど、
境界線を溶かしてしまって、その中から生まれてくる何かを見てみたいなって思う。
そんなことを思い出した、知り合いとのカフェでのひととき。
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