人がモノゴトのよしあしをつける時って多くは相対的だよな、
と思った。
例えば、
Aっていうリンゴがあって、
Aってリンゴは自分は”いい”と思ってるけど、
あれ、そもそもここで自分が”いい”と思ってるのは正しいんだっけ?
みたいな。
自分がいいと思っても、そのリンゴのことしか知らなくて、
もしかしたら、他にもその”いい”よりいいものがあったら、
その”いい”はたぶんよくはなくなると思う。
だって、他にもっと”いい”ものがあるから。
とすると、
最低限、
そこに存在する、比較対象になるであろうリンゴのことは、
全部しってなきゃいけない。
じゃないと、
自分が”いい”って伝える情報は嘘になるから。
・・・
でもそれってほんとうかなぁ。
例えば、
その人にとって、とってもいいなって直感で思ったら、
全部のリンゴのことを知らなくても、
そのリンゴは”いい”リンゴになるんじゃないかって。
ここで、
その人の言ったことが正しかった、正しくなかったって判断するのは、
あなたがおすすめするリンゴはどこですか?
っていう質問をした人だから。
その人が実際おすすめのリンゴを聞いて、その情報を信頼して、食べてみて、
満足するかどうかだと思う。
んで、
例えば、その質問する人が、質問した人のことをめっちゃ信頼してたら、
どのリンゴがその人の口からおすすめとしてでてこようがその質問した人にとっては
正解になるんじゃないのかなって。
・・・
世の中のことって、
多くのことは相対的に見えて、
でも、絶対的なのかも知れない。
特に人の感情とか、人の言葉とか、その場の雰囲気とか。
案外、なんとなくで回っている部分が多いような気がして。
全部をカバーしようと思ったら、疲れちゃうような気がして。
・・・
でも、やっぱり全部をカバーしたいよなぁ。
知ろうとする努力はしたいよなぁ。
そんな人から提供される情報を、というより、
そんな人が言うことだから間違いないだろうって。
そんな風に情報を受け取る側を納得させることができたら。。。
相対的って、
これとこれをこのモノサシではかった時にこっちの方がいいからこっちって、
そういうことだよね。
違うか。
いや、そうか。
相対的でも、見る角度を変えてあげれば、
どんなものでも一番になれるんだ。
それぞれの角度から見た時に映る魅力を感じる人の多い少ないはあるだろうけど。
新しい視点からモノゴトを捉えて、これっていいんじゃない?って提案ができる人って
すごいなぁと思う。
しかもそれがうすっぺらいものじゃなくて、
なにかその人の強い気持ちを感じるもの的なものだったらなおさら。
なんて、頭ぐるぐるしてよくわからない日記。
とりあえず、昨日トマトさんに夕張に連れて行ってもらった帰りに車の中から見た景色がきれいだった。
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