2013年8月12日月曜日

ちょんまげ支援隊の被災地報告会@札幌・ドリノキ―ちょんまげ隊長が見た3.11後の東北―で自分なりに感じたこと。



自分の中でまだまだ消化しきれていない部分は多々あるのだけど。


・・・


昨日、オオドオリ大学のつながりで、

ちょんまげ隊長ツンさん(サッカー日本代表のサポーター)の被災地支援に関する活動報告会に参加した。

ツンさんの活動→http://ameblo.jp/piroponpin/entry-10940136230.html
       →http://derorinkuma.com/daihyou/42007

日曜日の夜、大通のツタヤの上にあるコワーキングスペース・ドリノキに30名近くの人が集まった。


・・・

会が始まって早速、

ちょんまげ姿に青いサムライの甲冑を着たツンさんがしゃべり始める。







印象的だったのは、


「僕が言うことが正解とかではなく、

あくまでも、今日僕が話すことや僕がお見せする映像を見て、

ひとりひとりに、それぞれの解釈をして欲しい。」的な話しを一番最初にツンさんがしてたこと。

「そして、できれば東北に足を運んで自分の目でその場所を見て欲しい。」と。


そんなようなことを話してて、とっても印象的だった。



19時に始まって約2時間、全部で10本ぐらいかな、ツンさんがこれまで被災地に足を運んで

撮りためた映像等を編集したものを見せてくれて、

それをもとに、地震があった直後の被災地の様子や、

ツンさん達ちょんまげ隊の支援活動の様子や、

地震から2年経った被災地の今の状況などを紹介してくれた。





・・・

ツンさんの話しを聴いてて、

地震があった時のことを思い出した。

大学卒業前の最後の長期休みだからって、

ちょうど沖縄から実家がある埼玉に帰ってて、

んで、東京で人にあう用事があって、

原宿で待ち合わせして合流して、

写真の展覧会を見てた時に、地震が起こった。

最初は、トラックが近くを走ってて揺れてるのかな〜とか思ってたけど、

あまりにもゆれが大きくなって、あわてて建物の外にでて、

そしたら電信柱とかめっちゃ揺れてて。


そのまま、代々木公園に行って、とりあえず、ほっと一息ついて。


東京は電車が泊まって、電話もつながりずらくて。


んで、その日は都内にある祖父母の家に泊めさせてもらって、


翌日朝早く目が覚めて、テレビをつけたら、津波の映像が流れてて。


テーブルにひじをついたまま、ぼっーとテレビから流れる映像を見て、


何が起こってるのか理解できなくて。


しばらく一人でぼーっとしてた。


目の前に映し出される映像があまりにもショックすぎて。


見たこともない映像がテレビから流れてて。


んで、地震が起こってしばらくは、


埼玉の実家にいて、原発のこととかもあったから、twitterとかネットで絶えず情報チェックして、


そうすると、twtterとかに温かいメッセージとかも流れてきて、


それを見て電車の中とかでも、自然に涙が出てきたり。


しばらくそんな状態が続いてた。

・・・


そうそう、

んで、自分がそんな風にショックを受けて、パニクって、

自分のことや自分の周りにいる大切な人達のことだけでいっぱいいっぱいになってたころ、

ツンさんはすでに被災地支援に動き出していた。

地震があって、一週間後とかには、自分が靴屋をやってて、靴がたくさんあるからって、

それを東北に持ってこうって、動き出してたらしい。


すごい人だと思った。


と、同時に、なんでそんな行動をとれるのかも少し気になって。

報告会が終わった後の懇親会で、

「なんで、自分のことだけでもいっぱいいっぱいになるような状況なのに、東北の人のために、わずか震災後1週間とかで行動を起こせたんですか?」的なことを質問してみた。


そしたら、


「いや、靴屋をやってて、靴が大量にあったから、とにかくこれを被災地に届けようと思って。」的な話しをしてくれて。


たぶん、何か理由があるとかじゃなくて、ただ、そうしたいから、そうしなきゃってシンプルに思ったから、そういう行動を起こせたんじゃないのかなって。。。

そういう行動をとらざるをえなかったんじゃないのかなって。


これは自分の勝手な想像だけど。


ツンさんが、話してたコトで、もうひとつ印象に残ったこと。

「僕が今日話すことや、流す映像を見て、被災地のことを他人事だって、遠い所のことだって思わないで欲しい。つい最近だって被災地ではないけど、豪雨被害を受けて避難所生活をおくっている人達もいる。決して、震災というのは、他人事じゃなくて、いつ自分の身にも起きるか分からない”じぶんごと”なんです。」的な話しをしてくれて。


当事者になるって、難しいけど、でも、何か関わりを持とうとした時に、やっぱり、

当事者になる、もしくは当事者意識を持つっていうのは重要だと思う。


そしたら自ずと自分から動き出せるだろうし。


その、モノゴトに対する見方だったり、捉え方だったり、行動だったりも変わってくるだろうし。。。



あとは、人って強いな、って改めて思った。


津波で、お母さんもお兄ちゃんも亡くして、


でも、それでも笑顔でお父さんと遊ぶ小学生の女の子の映像を途中流してくれて。



人って強いんだって思った。







あ、あとツンさんが報告会の最後の方で言ってた、人は一人じゃ生きていけない、っていう言葉も印象的だった。


ちょんまげ隊の人達が、被災地の子供達と家族を連れて、サッカーの試合を見に行くバスツアーを何回か企画してて、

その中で、バスツアーが終わって、子供達がありがとうって言って、ボランティアのちょんまげ隊の人達一人一人と握手してる映像があって、

んで、よく声を聴いてみると、ボランティアをする側のちょんまげ隊の人達も、「ありがとう」って言ってる。

たぶん、ボランティアをする側とされる側っていう風にわけるのはどうかと思うけど、

でも、この場合で言えば、ボランティアをする側の人達にもたくさん得るものがあったんだろうなって、

だから、この人達は、自分が支援する側だったのに、子供達や家族の人達に向かって「ありがとうございます。」って言ってるんだろうなって。


人って、みんな持ってるものが違うから、お互いの得意な部分だったり、ちょびっと余計に持ってるものだったり、

そういうひとりひとりの長所じゃないけど、得意な部分じゃないけど、そういうのを交換しあえたら、とっても豊かな暮らしができるんじゃないのかなって。

見方を変えたら、一見、ネガティブに見えるものも、ポジティブに捉えることができたり、

誰かにとってはあまり価値のないものが、他の誰かにとってはとっても価値あるものになったり。

でも、それって一人じゃできなくて。

自分と違う誰かがいて、初めて交換しあえるものだと思って。


だから人って、一人じゃ生きていけなくて。


そんなことも考えた。



いずれにせよ、震災直後はあれだけ、目に触れてた被災地の状況だとか、

震災後の復興の様子だとか、

時間が経つにつれてどこか少し距離が離れてしまっていたものを、

改めてツンさんが昨日みたいな場をつくってくれることで、

距離を少し近くするきっかけをつかめたような気がして。


震災後、東北に”いつか”行こうと思ってたけど、

いつかじゃなくて、今年の10月くらいまでには、

一度行こう!って昨日の話しを聴いて思った。


http://michinokushigoto.jp/archives/402



貴重な機会をつくってくれたツンさんと、企画してくれた人達、手伝ってくれた人達、参加してくた人達に感謝。













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