2014年10月3日金曜日

沖縄に「コザ」という街があって。

コザが好きで。

とっても。

沖縄のちょうど真ん中ぐらいに、

「コザ」っていう街があって。



沖縄と、アメリカと、日本と、その他色々が混じったような街。

色んな人達が集まってできた街。

そんなコザが好きで。

自分の大切な地域を大切にするということ




何年か前に、こんなことを書いたら、

コザの銀天街の青年部長から、

こんな返事を頂いた。

”若者のいない銀天街には、
君たちの協力は欠かせないものになっています。

いつも、本当にありがとう。

ブログに書いてあった
去年の君の涙に、僕は気づいてはいませんでした。

僕らの都合で
君たちに悲しい想いをさせてしまっていることに
たいへん申し訳ない気持ちでいっぱいです。

しかし、
商店街の厳しい現状をどうすればいいのか、
右往左往しているのが現実です。

目的と手段の乖離を感じながら、
それでも、目の前の問題にふりまわされて、
大きな方向性を見失ってしまいます。

何か、青春時代の心の動きに似ている感じがしますが、
もはや、あの頃の根拠のない自信など持てるはずもなく、
日々、年だけとっている自分自身を情けなく思います。

君が、
僕らと付き合って、
コザの人が好きだと言ってくれることを
うれしく思います。

僕は、世の中に「絶対」はないと思っています。

明と暗。

対極的なものの、大きな振幅の中で
コザの人は、上手に生きています。

まよい、とまどい、ゆれ、

そういった、一見、優柔不断に見えることに

コザの人は、魅力を見出せる人たちです。

いろんな価値観を
素直に人生に表現できることが、
コザの人のいいところです。

それが、僕の街づくりの原点です。”



そんな、コザが好きで。

ちょっと、寂しい気持ちになったり、

でも、まだまだちゃんと頑張ろうって思ったり。

とっても大好きな街です。

銀店街振興組合が解散 沖縄市の屋台骨、62年で

【沖縄】戦後、沖縄市の発展をけん引してきた「沖縄市銀天街商店街振興組合」が、30日付で解散した。既存の商店街の法人組織の解散は、日本復帰後の県内で初めて。顧客の減少による売り上げの激減、組合員数の減少など時代の流れには逆らえなかった。銀天街の前身となる「十字路市場」通り会の創立から数え、62年の長い歴史に幕を閉じた。












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