2012年10月17日水曜日

川上には何があるのか。

昔読んだ本で、

とあるたとえ話が紹介されていた。


よく、問題解決とかの話の時にでてくるたとえで、

川下で溺れてる赤ちゃんがいて、

それを通りがかりの男の人が見つけて、

とりあえず助けなきゃって、

その赤ちゃんを必死で助けてみる。

ひとり助けてまわりを見たら、

また違う赤ちゃんが流れてくる。

それで、

その赤ちゃんも助けなきゃって、

また助ける。

そしたら、また赤ちゃんが流れされて来て、

よく見たらどんどん赤ちゃんが上流から流されてくる。

次つぎに赤ちゃんを助けてたらだんだんその人自身の体力もなくなって、

そのうち自分自身も流されてしまって。

って。

もちろん目の前で溺れている赤ちゃんを助けるのも大事だけど、

もしかしたら川上で次々に赤ちゃんを投げ入れてるやつがいたかも知れない。

その場合、その川上の赤ちゃんを投げ入れてるやつを

やめさせない限り、

ずっと目の前の問題に追われることになる。

そして気づいたら体力がなくなってる。


いわゆる”構図”の問題。って。

その本には書いてあった。


今出血しているところを

まず応急処置的に血を止めることも必要だけど、

もしかしたら、

問題の根本に対してアプローチしない限り、

今目の前の問題はどんどんでてくるだけなのかもしれない。

とはいえ、

まず血を止めないと死んじゃうしね。

難しいバランス。

そして、問題を見極める力。

問題の根本はこれだってあたりをつける力。

そんで、人を巻き込んでその問題に対処していく力。

難しい。


大学のとき、

学生で商店街もりあげようぜーってお祭りやって学んだことがある。

うわべだけをこすっても何の解決にもならない。

ただの自己満。

その時は、

とっても体力使って、

みんなで協力して、

充実感があるかもしれない。

でも終わってみてなにか変わった?

と言われれば何も変わってない。

街に来る人が増えたわけでもない。

それがとっても悔しくて。

・・・

でも、

そのあと少しだけでも、

街に関わってくれる人もいた。

全く意味がない訳じゃないんだって思えた。

たくさんの素敵な人とも出会えた。

なにより、あの時、とっても悔しい想いをして

学んだこともある。

結局は自己満なのかもしれないけど、

あのときたくさん迷惑をかけた人たちに

恩返しするためにも、

これからに活かさなきゃって。

そう思う。





0 件のコメント:

コメントを投稿